【留学体験記】生(ライブ):最終回「自由を求めて」(伊藤創平くん)

2014年11月19日
 

 インターンが始まったのは、イタリア生活も残すところ10日ほどになった頃だった。

 「Why did you come here?」と問われてから短い期間であったが、それまで避けていた英語論文の読み込みをし、レストランではイタリア語で書かれたメニューを頼んでみたりした。本当に些細な事だが、なんとかこの状況の中で自分ができることをやっていこうと思っていた。それまでは、自分で出来ないようなことを目標に掲げて、出来そうにないからやらない。そして、やらない自分を責めるという負のスパイラルに陥っていた。そんな自分を振り切るような気持ちでもあった。

 そして、インターンが始まった。

 自分に出来ないことを掲げるのではなく、できることを少しでも。そういった思いで臨んだインターンだった。

 インターンの内容は、イタリアのシビルプロテクション(以下C.P.)という組織に聞き取りを行い、その概要をまとめるといったものだ。C.P.は、主に消防・救急の補助や学校での福祉・防災教育など、行政サービスの補助的な役割を担うボランティアの団体である。日本で言うところの消防団のように、各々の地域に詰め所があり、地域のボランティアが入れ替わり立ち代りで業務に当たる。もちろん専従スタッフもいる。この組織が災害時、全国から被災地に集まり、軍と連携してソフト・ハード両面からインフラの整備を行う。ここに、着目して聞き取りを行った。

 なぜなら、日本での災害時における行政の支援は、「悪平等」といわれるように、目の前でお腹をすかせた避難者が100名いても、90個のおにぎりしか手に入らなければ配らないという判断をした。「全員が同じであること」という「平等」を貫いたのだ。東日本大震災のボランティアとして、復旧期に被災地に入った僕は、なんとか行政と地域住民をボランティアが仲介することで、この「悪平等」を乗り越えることが出来ないかと考えていた。その点、C.P.は災害後24時間以内にロジスティックスという災害復旧の専門家が現地に入り、被災地域のC.P.と連携して支援計画を組み、48時間以内に、全国からC.P.が入り、その支援計画に基づいて支援を始める。それに行政がお金を出す仕組みができている。権限も強く、C.P.に参加した証明があれば、たとえ一般の企業で働いていても、臨時の有給が認められる。これは、国からの要請という形をとり、従わない場合は罰則規定もあるようだ。まさに、僕の期待に沿う内容の組織であった。

 とても大きな組織なので、聞き取りはサルデーニャ州の州都カリアリにある本部を始め、それぞれの部署や地域にある団体などで、全5日間に及んだ。この期間は、自分でも驚くほど無我夢中で取り組むことが出来た。イタリア語が右から左だったり、組織の概要もわからないのに、やたら内部の連携の話がつづいたりと、いろいろあったが粘り強く、わからないことは訊き続けた。ここで引いては、何も残らない。結局頭ばかりで考えて、何もやらなかった自分と同じではないか。そう自分に言い聞かせていた。

 インタビューの全日程を終了した帰り道。州都カリアリからアルゲロ(宿泊しているところ)まで列車で6時間ほどかかる。その間、日が暮れゆくサルデーニャの広野をみながら考え込んでいた。最後の少しだが、やるだけのことはやれた。それには満足していた。しかし、自分がやれたことは全体のほんの一部に過ぎない。移動手段、宿泊場所、インタビュイー等の手配は全てパオラ先生のゼミの院生がやってくれた。当日も、別の院生が通訳をしに来てくれるなど、本当にありがたかったが、今回も助けが無ければ何も出来なかったのかと、自分の無力さを痛感していた。「悔しい・・・」。こみ上げてきた気持ちを抑えるよう、唇を噛んだまま、すっかり暗くなった広野を眺め続けていた。

 イタリアという場所で情報から離れ、国や言葉から離れ、人との付き合いからも離れ、僕は自由になったはずだった。しかし、そこで感じたのは強烈な不自由さ。この不自由さはなんだったのだろうか。それは全てパオラ先生から頂いた「Why」から始まっているといえる。この質問に何も言葉が出なかったのは、今まで自分一人で決めることをせず、自分で理由を考えることをしてこなかったからだろう。それでも生きてこられた環境に居たのだから当然とも言える。しかし、このときの環境とは周りが用意してくれた鳥かごのようなものであったと気づいた。その中では自由だし、外敵も入ってこない。しかし、イタリアという場所は、もはや鳥かごの中ではない。力のない僕は、外敵に怯える小鳥のように、とても不自由な生活を送らざるを得ないこととなったのだ。

 イタリアを去る日は、すぐにやって来た。時間も忘れるほど、怒涛の後半戦だった。帰りの機内、日記を書きながら考えていたのは、これからの事だった。これまで環境に甘えてきた自分に気づかせてくれたイタリアでの研修が終わり、また日常が始まる。「これから、何をしようか」。考える中で、一つ心に決めたことがあった。「この後、1年間大学を休学して団体の運営を行う」。「これからは、自分の足で立とう」。まだまだ、時間はかかるけど。かごの外にある、自由を求めて。

教育学部4年 伊藤創平

(写真:カリアリからの帰り道で) 

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