【留学体験記】生(ライブ):第1回地中海をみながらパニーニを食べていた(伊藤創平くん)

2014年9月11日
 

平成24年度日本学生支援機構「留学生交流支援制度(ショートステイ・ショートビジット)プログラム」として地域協働教育学部門・社会協働教育部門が連携して実施する「「コミュニティ再生・防災」を担う自律協働型人材育成国際教育ネットワーク事業」でイタリアに短期滞在した伊藤創平くん(教育学部4年)のその後の日記の連載をスタートします。

 

留学から1年半を経た今だからこそ、わかること気づいたことを綴ってくれます。

ぜひご贔屓に。

 

 

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【留学体験記】生(ライブ):第1回地中海をみながらパニーニを食べていた

              

                      教育学部4年 伊藤創平くん

 

 

 

 平成25年2月9日に現地(イタリア、サルデーニャ島)に到着し、たくさんの仲間に迎えられ、始まったイタリア生活だった。しかし三日後、僕は一人で地中海をみながらパニーニを食べることになる。

 

 何かを語る前に、まず僕の人生を変えた2 つのでき事を話したい。

 

 一つは、高知大学に来たことだ。僕は、大阪で生まれ育ち、この高知に来た。実は、大阪の生活に窮屈さを感じていて、なんとしてでもここを出たいと思っていた。

 

 最初は、あまりのギャップに呆然としながらも、暮らしているうちに「都会」にないものがここにはあると感じるようになった。特に中山間の学校には事あるごとに足を運んだ。

 

 2つ目は、東日本大震災だ。あの時はちょうど1 年生の春休みだった。帰省中の大阪であの映像を見たのだが、その日から頭の中にはとりあえず行ってみることしかなかった。高知大学で過ごしたチャレンジングな1年が背中を押していたのだと思う。新学期が始まり、ゴールデンウィークを挟む形で宮城県気仙沼市に災害ボランティアに行った。そこで、泥かきや避難所支援などをした。本当に大変な日々だったが、学ぶことも多かった。特に、僕は被災者の方のご好意で炊き出しに参加させていただくなど、とても生活に近いところにいれたので、「ボランティア」というより、人と人の「助け合い」をより近くで見ることができた。

 

この二つから学んだことは、「地域のつながりの大切さ」と「飛び込んでみてしかわからない世界があること」だった。これは、今も変わらないテーマとスタンスだ。こう書けば聞こえはいいが、自分では飽き性で無計画とも思う。

 

 話は変わるが、この2 年間で最も悩んだことの一つに母親との関係があった。親戚一同の一番末っ子の僕は、何一つ不自由しなかった。常に周りの大人に可愛がられ、怒られた記憶も殆ど無い。だからといって束縛されたわけではない。母の口癖は「好きなようにやればいい、いつでも支えてあげるから」だった。

 

 でも、その愛が苦しかったようにも思う。高知大に進学して、その後も感謝しなければいけないことはわかっていてもなかなか行動に移せずにいた。それでも、大学の2 年間で少しずつ母の優しさがわかるようになってきた。僕の成長と親との関係は、とても比例していると言える。

 

 3年からの活動は専ら高知がフィールドになった。学生ボランティアセンターという災害時に備えて朝倉(大学を含む近隣地域)の地域支援を行う学生団体を立ち上げたからだ。その中で、地域防災を専門とする高知大学総合教育センターの大槻先生との出会いがあった。

 

 イタリアに行くことになったのも先生からの一言だった。「伊藤くんイタリア行ってみない?」という質問に、何をするかもわからなかったが、二つ返事で了解した。「飛び込む」ことに躊躇はなかった。

 

 一年間の団体運営の後に、イタリアに飛び立つわけだが、そこで学んだことも少し書きたい。団体立ち上げそうそう、一日に同時に二人の女の子にビンタされたことがあった。活動を支えてくれていた子たちだ。その頃、僕はプライドの塊だった。プライドが邪魔して人に感謝することがうまくできず、無理に仕事を押し付けることもあったように思う。また、人からの批判や忠告もうまく受け取れず、まさに裸の王様のようなものだったのではないだろうか。今思い出すと笑い話だが、その時は何故このようになってしまったのかよくわからなかった。

 

 イタリアに行くとき、まだ僕には自信があった。自分なら一人でも何かできる。そう思っていた。着いてすぐ、身の回りから外部へつながる手段を全て絶たれた。携帯はなく、ネットも繋げない、外に出ても誰とも話せない(サルデーニャは基本的にイタリア語のみ)状況になった。ただ食べるものを買い、家に引きこもる日々。「何をしに来たんだ」と悶々考えこみ、自分自身と向き合う日々だった。何かできると思っていた自分が、他人の指示やサポートがないと何もできないのだと身を持って感じた。一週間ほどして、僕は考えることをやめた。近くのパン屋でパニーニを買い、地中海の見える港で、それを頬ばった。「今日は、何をしようか?」。

 

ここが、僕のイタリア生活のスタート地点だった。

 

 

 

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(パニーニを頬張りながら見ていた景色)

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