【留学体験記】Ci vediamo ancora!第1回(阿曽佑也くん)

2013年9月27日
 

Ci vediamo ancora!

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※空港を出た際に見た夕焼け

 

21歳の誕生日を迎えた翌日、僕はイタリア・ミラノの空港にいた。初のヨーロッパ、初の一人海外ということもあり、僕は意気揚々と初日のホテルに向かおうとしていた。しかし、空港から一番近いホテルは、約20キロの荷物を抱えて歩くのには少し遠すぎる距離にあった。ましてや、知らない街となるとなおさらだ。しかし、イタリア語しか話さないタクシーの運転手さんからシャトルバスの乗り場を教えてもらい、やっとのことで初日のホテルにたどり着くことができた。チェックインを済ませ、ベッドに横たわった時にはじめて、イタリアで生活していくことへの一末の不安を覚えたと同時に、自信も感じていた。

  

 

大学に入ってから、地域のお祭りへのお化け屋敷の出店、耕作放棄地を借りて農業をするなど地域に出ての活動をしてきた。地域の人と話をしたり、メンバーで協働して何かをすることが好きで地域に出て活動することを続けてきた。

そんななか、先輩の誘いを受けて2年生の後半からSunday Market Supporters として日曜市で活動をしてきた。Sunday Market Supportersの活動は、出店者さんと話したり、メンバーで協働してイベントなどを行うなどまさに自分の好きな活動であった。それと同時に、先輩と共に日曜市を研究し、何本か英語で論文を書いたりもしていた。研究を進めていく上で、イタリアで市場を調査してきた先輩の話を聞いたり、海外の市場についての論文を読んだりすることが多くなった。海外の市場はどれも魅力的だった。市民が集う活気のある市場、災害時に食料配給のポイントとなった市場など、まさに絵に描いたような市場があった。そのような海外の市場のことを調べていくにつれて、実際に行ってみたい、調べてみたいという気持ちが大きくなっていった。そうすることで、日曜市に何か還元できるのではないかと考えていた。

 

そのようなころちょうどイタリア留学の話を頂き、親への相談もなしに、その場で「行かしてください」と答えた。親にはその晩に「夏にイタリア留学に行くことになった」とだけ伝えた。今思えば、そんな唐突で良く分からない申し出をよく親が許可してくれたと思う。このような流れでイタリア留学が決まった。

  

留学が決まってからは、今までの活動のまとめなどをし、先生や先輩から聞くイタリアでの生活に胸を躍らせていた。

言葉の問題については、イタリア語は全く話せないが、先生から「英語が使えれば大丈夫!」と言われていたので心配していなかった。曲がりながらにも、国際社会コミュニケーション学科の学生なので^^;

しかし結論からいえば、前述のタクシーの運転手さんしかり「英語が使えれば大丈夫!」ではなかった。鉄道などの公共交通機関の人達は英語をしゃべれるが、他の人は全くといった感じだった。だから、イタリアでの生活は出国前に聞いていた以上に大変だった。

不安を抱えながらも行動に移してみる。

イタリア留学はこの連続だったように思う。不安を抱えながらも行動に移してみることでたくさんのことを学ぶことができ、自信がついた一カ月半だったと思う。

 

 

今度は、こういった形で自身の経験を多くの方に伝えることができ、光栄に思います。留学中に書いた日記、メモ、写真を引っ張り出し、振り返りながら書いていきます。次回からは、具体的なエピソードを交え、学んだことなどを伝えていきたいと思います。

 

 

人文学部4年 阿曽 佑也

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