【留学体験記】グラッツェミーレ!イタリア 第5章 料理を通じて市場を考える(その2)
市場は人々が生活するための場所である。
だから、イタリアで彼らの生活を疑似体験(料理)すれば何かが見えてくるかもしれない。
そんな気がしていた。
イタリアは本当に農作物が安い。
クリスマスにウディネの街に滞在していたときに、農家レストランを経営しているプッポさんのお店にヒアリング調査を兼ねてディナーに行ってきた。
イタリアの農業はいわゆる大規模農業、農業大国である。プッポさんは自分の家の畑はせまいと言っていた。「30haしかない」と…。
畑の先は視力1.5の僕でも全く見えず、もはや水平線である。
イタリアでは農家さんたちが自主的に作るアソシエーションがあり、その単位で加工施設や、販売経路をきちんと持っている事が多い。日本にはたぶん農協しかないと思うと説明すると、「そんな仕組みだったら農家の立場が弱くなるじゃないか!」と言われてしまった。
イタリアでは農家は販売まで、責任と誇りを持って行っている。
買い取ってもらうとかじゃなくて、俺たちがうるんだ!という感じ。このレストランの野菜もプッポさんの属するアソシエーションの農家さんのもの使っている。
イタリアの法律で農家レストランは1年で210日までしか開けないらしいけれど、そのぎりぎりまで経営しているとのこと。30haの農地と30~50席はある大きいレストランを家族で経営。コック長はプッポさんのお母さん。75歳です・・・すごっ!
僕が驚いたことはプッポさんの手がきれいなこと。
日曜市で、豆だらけの日焼けした手で働いているおじいちゃんとかおばあちゃんが僕にとっての「農家さん」のイメージだった。
大規模化・機械化ってこれだけ農業を全く違うものにしてしまうんだ、ということを実感させられた。
「こんなに広い農場とレストランの経営の両立って忙しくないですか?」
との問いには「全然そんなことないよ。」との回答。
「なんで?」
また衝撃を受けたのが、農家レストランはもっとも安いレストランの一つであるということ。日本の農家レストランでは「限定○食」とか「先ほど裏庭でとってきた野菜を使っています」というのは付加価値とみられる。でもイタリアでは近所の人が気軽に食べにくるレストラン。野菜もプッポさんの家に直接「~はないかい?」ってご近所さんが買いに来るらしい。
この状況を見ていると、なぜ市場の文化が残っているのかということとつながってくる。
スーパーに行けば、日本の3分の1程度の価格で野菜もお肉も買うことができる。
しかしその多くは人の手でというよりも機械と農薬で作られたものなのである。
もちろん料理をするときに自分は少しでも安いものを選びたいと思う。
と同時に安心安全なものを選びたいとも思うのである。
信頼している農家さんから商品を買いたいと思うのは当然じゃないかと思う。
スーパーでの購入を選ぶのか、市場での購入を選ぶのか?
合理的に考えて、市場で買い物をするという文化が残っているのも当然であろうと思う。
なんてことない料理から市場、そして農業の在り方を考えさせられる。
教会を中心にしたコンパクトな街であること、地域住民の持つ特性、いろいろなものが市場という文化を守ってきているのだなと考えさせられた。
日本ではどうして市場の文化が消えてしまったのか。
この疑問はまた研究することにしよう。
(第6章へ続く)
人文学部4年 浅川直也