【留学体験記】僕を変えたタイ、バンジャムルン 第4章 「これから」

2012年11月30日
 

2012年8月。僕は早くも2回目となるタイ行きの飛行機に乗り込んでいた。今回の旅も残念ながら卒業論文の研究としての渡航だったが、この村のことをもっと知りたいという想いと、パンケーキやディーンやプンさん、バンジャムルンのみんなに会いたいという気持ちも強かった。実際、「卒業論文研究」はタイへ行くための良い口実だったのかもしれない。実は、この回顧録の第1章は、僕が2回目の滞在中に書かせていただいたものだ。この回顧録を書くのも最後なので、2回目の思い出の一部と、バンジャムルンとのこれからの関わり方について話そうと思う。

 

今回も生活パターンは2章で書いたようなサイクルで回っていたが、話せる言葉の量が増えたことやみんなが僕のことを覚えてくれていたこともあって、さらに愛着の深まる濃密な期間を過ごすことができた。

 

・カンボジアチルドレンたちと

 ディーンは半年間、僕のことを忘れてはいなかった。久しぶりに会ったときも自ら話し掛けてくれた。少し変わったのは、カンボジアの少年が2人増えていたこと。ディーン・ロン・トンは毎日一緒に働いている。毎朝約5キロ離れた、カンボジアの出稼ぎ労働者の町からバイクで通っているそうだ。2月に行ったとき、ディーンはいつも1人だった。そのときはとても寂しそうだったが、今回は毎日楽しそうに働いている姿を見ることができて嬉しかった。今回もディーンと仲良くなったときのようにいろいろと画策をした。木の枝で剣道を教えたり、サッカーを一緒にやったり、一緒に歌を歌ったりする中で、他の2人とも仲良くなることができた。みんな年齢も出身も違うが、最後は握手で抱き合って分かれるような大切な「友だち」になった。(ディーンはシャイだから写真にあまり写ろうとしない。) 

 

121130-1.jpg

 

 ・プンさんとの関わりの深まり

 これは、一番心に残った体験かもしれない。いつもパソコンに向かう僕に対して、プンさんから村の地図を作って欲しいというお願いがあった。ホームステイを希望する研修客に向けて、引き受け先の家がわかるような地図をFaceBookに載せたいからだそうだ。初めての挑戦だからどうしようか迷ったが、自分の存在をこの村で役立てる機会だと思い引き受けた。別に特別なソフトを持っているわけでもなく、全部パワーポイントでやるしか方法が分からなかった。

 4日間ぐらい費やしただろうか。GooglEearthから地図を切り取り、図形を使ってフリーハンドで道を落とし込んだ。そのあと感覚で木を描き、家を描いた。しかし、最初に作ったものは却下された。「欲しい情報が載っていないし、分かりづらい」と一言。悔しくて試行錯誤を繰り返した。細かな道の曲がり具合まで描き、建物の大きさを変えるなどして、力の限り忠実に再現した。それは「スゴーイ!」と(日本語で)言ってくれ、そこからさらに希望に合わせて編集を加えていった。そして、住民監修、日本人学生作のバンジャムルンマップはできた。日本でも、何か残るものを作る経験がなかったため、具体的に地域貢献ができたことが本当に嬉しかった。何より、プンさんをはじめとする住民のみんなが喜ぶ姿を見ることができたことが良かった。それに、マップを作ることによって(地図には載っていない情報も含めて)バンジャムルンを地理的視点から知ることもできた。どこにどのような産業があり、どう生活に取り入れられているのかを知ることができたと思う。

121130-2.jpg

 

前回以上にプンさんとの会話を重ねてきたおかげか、プンさんと自分との間にはお互いにしか伝わらない(変な)英語会話が成立していると気がついた。ちなみに、2人ともきちんとした文法・構文の英語はほとんど話すことができないし単語量も限られている。あからさまな用法の間違いや語順が逆であっても、それが「正解」であるかのように共通理解が作られていた。もちろん、言いたいこと伝え切ることはできないが、それはトータル2ヶ月間の無理矢理な会話で作った「2人の言葉」になっていた。この土台になっていたのは、理解してもらえるまで会話をやめようとせず、お互いにコミュニケーションし続けた時間の積み重ねだった。言葉って本当に何とでもなるんだなあ。使うツールよりも意思の問題だと改めて感じた。

 プンさんとは2人で出かける機会も多かった。よくご飯を食べに誘ってくれ、村についていろいろな話をしてくれたし、しょうもない下ネタトークや冗談で盛り上がったりした。2人でいるときにプンさんがいつも話すのは、日本についてだった。彼は本当に日本への憧れが強くて、「いつかは日本へ自分で行き、経済や文化について学びたい」と口癖のように言っていた。

121130-3.jpg

 

 コミュニティーセンターは住民で出資して建てられた施設だ。そのシステムとして、株主制度に近いものがある。一口1000バーツで出資をし、センターの活動による利益から配当をもらえるというものだ。(余談だが、これは高知県西土佐大宮地区の地域開発の手法とも共通している所があると思う。)

そこで今回、僕は一口分の出資者となった。半ば、プンさんの無理強いも入っていたが・・。

「今、少しでも買っておけば次に来たときにお金が溜まっているよ!それまでは俺が預かっといてやるよ!」

そんな言葉につい買ってしまった。まあいっか。

 2年ほど前に大学の先輩と「愛着とは何か」について話し合ったことがある。結論は学問的な難しいことを抜きにして、「その土地で、こういう人がこんな想いを持ち、こんなことをやっている」と他者に語れることが「地域を知る」ことであり「愛着」につながるのだ、という話になった。つまり愛着とは「人を知ること」だと思う。想いも含めて人を知るには直接関わることが必要だという考え方をすれば、「人と関わること」だとも言えると思う。2ヶ月の滞在で僕はそれを実践し、それまでタイについて何も知らなかった癖に、バンジャムルンにすっかり愛着を感じるようになってしまった。そして、その愛着を1回目の滞在中に書き溜めた3万字の日記と今回の回顧録で、できる限り表現してきたつもりだ。

 そして、それは継続されていく。

 来年には東京で就職予定(卒業できれば)の僕を頼って村の高校生が短期留学を計画しているようだし、数年の内にはプンさんも自分の夢を果たしに日本にやってくるそうだ。そして僕自身もバンジャムルン・コミュニティーセンターの出資者として、配当を受け取りに行かなければならない。たまに思い出し、連絡を取り合い、また次に会える日をお互いに妄想する。今後もこの村へ愛着を持った1人の人間として、そんなイメージでバンジャムルンとつながっていければ良い。

 そして次こそは、研究などの意識は捨て、ただフラッと訪れ目的もなく人と語り合いたいと思う。そのときには、配当が安いウイスキー1本分くらいにはなっていれば良いなあ。

(完)

 

121130-4.jpg

 

人文学部4年 有田悠樹

お問い合わせ

コラボレーション・サポート・パーク
電話:0888448932
コラボレーション・サポート・パーク
  • COC+ロゴ(小).jpg