【留学体験記】グラッツェミーレ!イタリア 第3章挫折の日々
先生たちが帰った直後、ボローニャで行われるワークショップに参加することになっていた。
このワークショップに関しては、1週間ほど前に、パオラ先生から行くかどうかを尋ねられていた。正直、少し悩んでいたが、まず自分から一歩目を踏み出そうと思い、すぐに行きたいという意志を伝えた。
この時、その決定をイタリア滞在最終日であった大槻先生たちに伝えると、「いいねー」と言って下さった。僕も「頑張ってきます。」とは言ったものの少しの不安があった。
まさかこの後に本当に大変なことになるとは僕も思っていなかった。
10月8日。ステファノさんに車で送ってもらい、パオラ先生とシアニーさんと共にアルゲーロ発ボローニャ行の飛行機に乗った。
そこから約1時間、のんびりした風景の中をバスで走り、隣町のチェゼーナに向かった。
世界最古の総合大学と言われ、23の学部を持ち、そしてイタリアでも2番目の規模とされるボローニャ大学。建築学部はチェゼーナに位置している。この大学にパオラ先生の友人がいて、ワークショップを開いている。
主な発表テーマとしては、防災に関するもので、パオラ先生、シアニーさん、ボローニャ大学の先生や学生さんたち…。順調にプレゼンが進んだ。どれも素晴らしいプレゼンテーションであった、ひとりのプレゼンテーターを除き。それはMr. Asakawa、つまり僕であった。
このプレゼンについては、出発の数日前に、パオラ先生から「NINO-sanもプレゼンしてね。」と声をかけられていたことに端を発する。
まさか本当にやることになるとは思っていなかったので、「はい(笑)」と答えていた。しかし、「プレゼンは完成した?」と出発の前日に聞かれた時には、本当にびっくりしたのを覚えている。
チェゼーナ滞在2日目が、僕のプレゼンの日になっていたので、夜にプレゼンの原稿を作る予定になっていた。しかし、チェゼーナの街をパオラ先生の友達の家族の人たちに案内してもらったり、パーティーの疲れのため、気がついたときにはもうお日様は十分すぎるほどに昇っていた。
原稿を構えられていない中で、僕の発表の順番だけが刻々と迫ってくる。
もう、その後の事はほとんど頭に残っていない。まさに頭が真っ白と言う感じだった。
途中からはパオラ先生のサポートもあり、なんとかプレゼンを終えることはできたが、悔しいという思いしか残っていない。
もっとできると思っていた。でも実際は自分ひとりでは何もできなかった。
こんなに悔しかった経験は久しぶりだった。
自分の研究分野についてしゃべることができないというのは本当に屈辱的なことであった。
そして、この留学が僕にとって、挑戦なんだということを改めて感じさせられる3泊4日のボローニャ滞在だった。
その後、チェゼーナ周辺の市場を散策したり、街で買い物を楽しんだりとプレゼンから解放された僕は、純粋に観光を楽しんだ。
今までお世話になっていた、シアニーさんが帰国する日も近づいてきており、これからは本当に一人での戦いになる。
でもやってやる。
僕も研究者ではないが、こういう人たちに一歩でも近づきたと強く思わせられる経験だった。
(第4章へ続く)
人文学部4年 浅川直也