【留学体験記】僕を変えたタイ、バンジャムルン 第2章ジャムルン村での過ごし方

2012年10月1日
 

交換留学先であるタマサート大学の学生に連れられ、僕と大槻先生はジャムルン村にやってきた。最初に迎えられた場所はコミュニティーセンターと(英語で)呼ばれている所だった。そこで通訳をしてもらいながら、住民の方から村の歴史について聞いたあと、ホームステイ先の家へ案内された。

ホームステイ先は、村で唯一、英語を話すことができるプンさんの家だった。村へ来る前に「英語を話せる人はいない」と聞いていたから、本当に嬉しかった。(タイへ来る前は全ての外国語に怯えていた僕が、英語を話せるだけで嬉しいと感じることが不思議だった。環境って人を変えるなあと感じた最初の経験だった。)

 

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しかし、その安心も一瞬だった。翌日、大槻先生が日本に戻られたあと何をしてよいのか分からない。そのとき分かっていたのはジャムルン村が、有名なモデルケースの村であることと、ドリアンなどの果物を原材料にした地域産品を作っているということだけだった。大槻先生の帰り際に三つの課題をもらった。

 

一つ、地域の魅力マップを作って住民へプレゼンすること。

二つ、タイ式トイレ(手で洗うトイレ)に慣れること。

三つ、虫を食べること。

 

あとの2と3はいいとして(笑)、一つ目は高知のアンテナショップで働き、学外活動や講義を通して養ってきた「僕なりの地域のモノサシ」を用いて地域の魅力を探るという課題だ。プンさんもコミュニティーセンターで働いているため、僕の村生活はコミュニティーセンターを中心にスタートした。

 

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 驚いた。毎日、この村にはたくさんの観光客が押し寄せる。多いときは1日で600人を超す観光客がいくつかのグループに分かれて、大型バスに乗ってやってきた。彼らは、地域開発を学ぶための研修として行政からの補助金を得てやってくる。そして、住民から取り組みの説明を受け、集落内を専用バスに乗って観光し、ご飯を食べ、お土産にジャムルン村産品を買って帰る。それを迎える住民。タイのイメージって、来る前はもっとゆったりとした生活だと思っていたけど、みんな忙しく働いている。その光景を見て、すぐ「何かしないといけない」と思った。周りを見渡してできることは、カンボジアから出稼ぎに来ている子どもと一緒に机を並べるぐらい。力仕事に自信はあった。

 

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 とにかく「何かやらないと」と考えていた。限られた時間の中でできる最大限のことをしようという思いと、城月先生からいただいた「地域の人の優しさを消費するだけで終わらない」という言葉が大きく影響ていた。その思いが通じたのか、一緒に仕事をする内にジャムルン村に溶け込んでいく自分を感じることができた。最初は僕自身も客人扱いで始まった生活が、いつのまにか自分も観光客をもてなす側になっていた。僕が一緒に働くことが、村の中で次第に当たり前になっていくのが感覚的に分かったのを今でも覚えている。とても不思議で、嬉しい感覚だった。

 

コミュニティーセンターを中心とした村の生活はいつも決まった流れがあった。朝6時過ぎからセンターに人が集まり出す。そして、観光客に提供する食事を作るグループが調理をはじめ、男たちはテーブルや椅子をセッティングする。いくつかの観光客グループのおもてなしを夕方5時頃まで続け、終わるとセンター内のテーブルに酒を持ち寄り、飲み会がスタートする。僕もこのスケジュールに沿って毎日を過ごした。決まって飲むのは、「HONG TONG」というウイスキーのソーダ割り。これを片手に夜の飲み会は、いつのまにか僕の質問タイムになっていた。毎日、働きながら感じた疑問や知りたいことを時間の許す限り質問していた。プンさんも嫌がらず、時には冗談を交えながら真剣に答えてくれた。そこで知ったことを、寝る前に日記として書いていく。この繰り返しが僕の村での過ごし方だった。

 

                            (第3章へ続く) 

                            人文学部4年 有田悠樹

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