【留学体験記】グラッツェミーレ!イタリア 第2章カリアリからアルゲーロへの旅路

2012年9月6日
 

カリアリ空港に降り立った時、僕の心には少しの余裕があった。

大槻先生と城月先生、また石筒先生が隣にいてくれたから。
何も恐れるものはなかった。先生たちからの無茶振り以外は…。


カリアリ滞在の目的は防災に関する国際ワークショップに参加することであった。

ちなみに僕が防災に興味を持ったのは、
たまたま大槻先生に防災系のワークショップに誘われる機会が多かったから。
このカリアリでのワークショップには
様々な大学の研究者や学生さんが参加することになっていた。

ワークショップまでの時間は、
先生方と有名な海鮮料理店にごはんを食べに行ったり、市場の見学をしたり。

ワークショップの日の午前中には石筒先生とカリアリの街を散策した。

カリアリはとてもきれいな港街で、見るものすべてが斬新だった。
ひとつひとつに感動したのを今でも鮮明に覚えている。

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石筒先生が道に迷った時、インフォメーションセンターで
イタリア語を話していてびっくりした。

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先生曰くスペイン語に近いからそれっぽく「ノリ」で話したらしい。
僕には到底理解のできない話である。
さすが海外で生活している人は違うなぁと
改めて差を感じさせられた出来事であった。
 

12月2日。ワークショップ当日。

最初は先生たちの後ろに隠れ、あいさつは必要最低限の
「Nice to meet you!」で乗り切るつもりでいた…。

何しろ防災については専門的に勉強していない上に、
ワークショップはイタリア語で行われるのだ。
時間が過ぎてくれるのを祈っていた。

しかし、あの悪魔のワード
「What is your research topic?」が僕を苦しめる。

「こんにちは。お会いできてうれしいです。」とあいさつをすれば
その次の言葉が「あなたの研究テーマは何? 
どういうプロジェクトを持っているの? 大学での専攻は何?」なのである。

ワークショップが始まる前は、基本的にこのような挨拶兼質問攻め。

ちなみに当時の僕の研究テーマは日曜市を持続可能にするために、
日曜市の出店者さんの市への参加動機を金銭的動機と非金銭的動機
という言葉を使い調べていた…もののなんと説明したらいいのか分からない。

これが研究をしている人たちのフォーマルな挨拶なのかと驚かされた。
というより自分の意識の低さ、積極的に学ぼうと集まる人たちの意欲
というものをひしひしと感じる場であった。

まだ僕の研究は人に話せるようなものではない。
何もしていないじゃないか。
本当は悔しかったのかもしれない。

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会場では以前サッサリ大学から高知大学に交換留学生として来ていて、
現在も引き続き本山でプロジェクトを持っている、バルバラさんと再会。
心強かったが、「友達を紹介するよ。」と言われ、
再び質問攻めにあってしまうし、途中から先生には放置されてしまった。

この日以降は自分の関心事項はノートに書き説明できるようにしていた。
まさに質問攻めへの対策(防災)である。
 
ワークショップの内容は非常に難しく、理解しがたいものもあったが、
ここでの出会いは特別だった。
鐘ヶ江先生、五十嵐先生、シアニーさん、ティッツィアーナさん
これからの僕のイタリア生活でもっとも大切な出会いの場であったと言える。

ワークショップ翌日からは、先生の教え子夫婦の方とジオバンニ先生に
車を出してもらいオルツァイという街に向かった。

オルツァイは日本でいう中山間地域に当たるような小さな村なのだが、
伝統的な街の仕組みや景観を残し、観光客誘致に成功している。

オルツァイに向かおうとするその時。
2台の車がホテルの前で待っていた。

先生たち3人はにやにやしながら、
ジオバンニ先生の車にマルコ先生とあっさり乗車…。
先生方は「がんばってね。」それだけを言い残し車の中に消えた。

僕はパオラ先生に手をひかれ、
日本語を使える環境から始めて引きはがされてしまった。
まさにこの瞬間から本当の意味での僕の留学が始まったと言える。
今までの気持ちの余裕は一気に消え去り、
これが不安という気持ちなんだと気付いた。
僕は、初めてここで留学生NINO-sanになったのだった。
 
イタリア人の車の運転はだいたいみなさん少々豪快なところがあり、
マリオカートというゲームをほうふつさせるような感じである。
その車の中3時間近い極度の緊張状態を強いられ、
電子辞書を握りしめ、運転テクニックに魅了され、崩壊(ゲロ)寸前…。
本邦初告白になるが、この車の中で初めて寝たふりをした。


街の仕組みや考え方は日本の中山間地域にとって非常に重要であると思え、
いくつかの地域でフィールドワークを行ってきた僕には気づきの多いものであった。
僕自身、農村や市場のような文化が非常に好きである。
一方、それらの生き残りが非常に難しいのは皆さんが知っている通りである。
このような文化をいかにして守ることが出来るのかという事が
僕の興味であったのだと、海外の事例を見て改めて気付かされた。

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オルツァイには大川村の謝肉祭のような地域の食材を使った
パーティが開かれており、日本だけでなく世界中どの地域でも
「いなか」と呼ばれる地域は生き残りのために
努力しているのだろうなと感じさせられた。

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そういった努力や独自性を大事にしているからこそ
地域は面白いのだとも感じた。
はじめてのワークショップとオルツァイ訪問は
非常に興味深く、意義のあるものだった。
と、同時に先生たちの帰国の日まであと2日ともなっていたのであった。
 
                               (
第3章へ続く)

                           人文学部4年 浅川直也

 

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